800年前の文化遺産と邂逅(かいこう)する旅

日本遺産のまちへ「いざ、鎌倉」

フリーパスでお得に楽しむ日本遺産のまち鎌倉

▲浄光明寺の境内

文化庁は、全国の100を超える地域を「日本遺産(Japan Heritage)」として認定しています。各地に伝わる歴史や自然、そして有形無形の文化財を一つの物語(ストーリー)として捉え、全国各地の魅力あふれる文化と伝統を国内外に広く紹介しています。鎌倉市は、「いざ、鎌倉~歴史と文化が描くモザイク画のまちへ~」というストーリーで2016年に日本遺産に認定されました。源氏・北条氏による武家政権発祥の地という歴史に加え、社寺が醸し出す雰囲気の中に、各時代の建築や土木遺構、さらには明治以降の鎌倉文士らが残した芸術文化など様々な要素が組み合わさった点が特徴です。鎌倉は、異なる時代の文化や歴史が、まるで一枚の絵の中で重なり合うように共存していることから、「モザイク画」と表現されています。

今回は、日本遺産の構成文化財である3つの寺社、いずれも鎌倉時代に創建された「極楽寺」「浄光明寺」「覚園寺」を巡り、鶴岡八幡宮近くの住宅街の中に佇む評判のお店での食事を楽しむ散策ルートをご紹介します。
また、江ノ電もセットになった江の島・鎌倉フリーパスを使えば、鎌倉市と江の島を含む藤沢市の周遊もお得になります。ぜひフリーパスを使って、鎌倉へお出かけください。

9:00 戒律と社会貢献で地獄谷と呼ばれた地を極楽に変えた【極楽寺】

▲極楽寺駅近くの桜橋からの眺め。20年ぶりの江ノ電新型車両700系

江ノ電「極楽寺駅」は、その名の通り、駅ホームから極楽寺の山門が見えるほど、境内の目の前に設けられた駅です。江ノ電で鎌倉駅からは7分、藤沢駅からは29分ほど。改札を出て、長谷方面に緩い坂(極楽寺坂)をのぼり、1907年に開通した江ノ電唯一のトンネル「極楽洞」を見下ろす桜橋(跨線橋)を渡って、山門から境内に入ります。

▲茅葺屋根が印象的な極楽寺の山門

極楽寺への入口となる山門前の垣根周辺には、梅、紫陽花、芙蓉など季節のお花が咲き、参拝客を出迎えてくれます。境内への入場は無料です。

▲春にはソメイヨシノが咲き、ピンク色に染まる参道

山門をくぐり、境内に足を踏み入れると、古から変わらない景色が出迎えてくれます。極楽寺の開基は、鎌倉幕府の二代執権北条義時の三男の北条重時(1198-1261)、開山は、忍性(1217-1303)です。六波羅探題北方の最高責任者として都にいた重時は、五代執権の北条時頼の要請を受け、鎌倉へ戻ります。執権の補佐役「連署」を務めた後に出家。自らの屋敷の土地に極楽寺を創建(1259)したと伝わります。

▲参道の正面にある本堂(関東大震災後に再建)。毎月24日はお地蔵様の日、28日はお不動様の日の法要があります(8月、12月は除く) 

奈良の西大寺で、戒律振興や救貧施療などに注力していた叡尊上人(1201-1290)のもとで修業を積んでいた忍性が、開山に招かれます。忍性は、戒律を重んじた僧の育成と布教に努める傍ら、重時の二人の息子(後の六代執権・長時と業時)とも協力して社会事業を展開しました。病人や貧民の救済、さらには橋や道路の建設といった土木事業にも尽力し、広く庶民の暮らしを支えました。また、2度目の蒙古襲来となる「弘安の役」(1281)の際には、幕府・朝廷の命を受けた忍性は、異国退散を祈禱します。鎌倉では唯一、関東でも数少ない真言律宗の寺院として、幕府から厚い信頼を寄せられていました。

▲本堂右手にある転法輪殿(宝物館)

極楽寺ご本尊の「木造釈迦如来立像(国指定重要文化財、以下 国重文)」をはじめ、「木造釈迦如来坐像(国重文)」など、鎌倉時代に作られた美しい尊像や、古いものは平安時代の作と言われる「不動明王坐像(国重文)」など多くの寺宝を収蔵しているのが、本堂隣にある転法輪殿です。この宝物館(拝観料300円)は、春期4月25日~5月25日、秋期10月25日~11月25日の火、木、土、日曜の10時~16時に一般公開されます。雨天時は休館となりますのでご注意ください。(ご本尊の公開は毎年4月7、8日のみ。ご焼香料1000円)

▲本堂右手にある製薬鉢と千服茶臼。病気などに苦しむ庶民に薬や茶を施すために使われました

忍性のお墓(忍性塔、五輪塔、高さ357cm、国重文)がある奥の院は、年に二日(毎年4月7、8日)のみ公開されます。桜の季節と重なることもあり、多くの方が参拝に訪れます。

室町時代の絵図には、金堂や講堂などの7つの伽藍と多くの支院を数えるほどの大寺院として描かれた極楽寺。現在の極楽寺地区の谷戸全体が境内だったと言われるほど広大な敷地を誇っていましたが、現在公開されている境内は比較的コンパクトです。境内及び忍性墓は、国の史跡に指定されています。境内には、水仙、梅、紫陽花、泰山木、百日紅、萩など四季折々のお花が咲き、参拝者を出迎えてくれます。

駅からも近く、気軽に参拝することができます。境内にベンチなどはありませんが、本堂前に佇めば、800年前と変わらない海からの風を感じることでしょう。

11:00 諸宗兼学に端を発する名刹。北条氏、足利氏が篤く帰依し庇護した【浄光明寺】

▲浄光明寺山門前の石が敷かれた参道

極楽寺からは江ノ電に乗車して鎌倉駅へ。鎌倉駅西口を出て、今小路から横須賀線の線路を渡り、住宅街の中を進むと、左手に浄光明寺の山門が見えます。鎌倉駅西口から、徒歩15分ほどで到着します。近くには北鎌倉方面へ繋がる切通の亀ヶ谷(かめがやつ)があり、鎌倉時代には交通と防御の重要な場所であることが分かります。角に建つ藤谷黄門遺跡の碑は、近くに居を構えていた歌人・冷泉為相(れいぜいためすけ)について説明しています。

浄光明寺の開基は、五代執権の北条時頼(1227-1263)と六代執権で極楽寺の発展にも貢献した長時(1230-1264)、開山は真阿(真聖国師)、創建は1251年頃と伝わります。当初から、諸宗兼学のお寺として浄土、真言、華厳、律などに秀でた高僧が集い、多い時には数百の僧が滞在し修行に励んだ鎌倉の仏教教学の中心地として寺勢を誇りました。

▲境内はいってすぐ右手にあるのが「不動堂」。不動明王坐像は、毎年大晦日の除夜の鐘の最中のみ公開されます

鎌倉幕府滅亡後は、足利尊氏(1305-1358)やその弟である直義(1307-1352)が帰依しました。後に、尊氏は後醍醐天皇に対する挙兵をこの場所で決意したとも言われています。室町時代には鎌倉御所の祈願寺となり、初代公方の足利基氏(1340-1367)、第二代公方の氏満(1359-1398)の分骨が収められ、朝廷からも待遇を受けていました。しかし永享の乱や享徳の乱を経て、鎌倉御所が滅亡すると、衰退してゆきました。明治のはじめに京都東山の本山泉涌寺(古義真言宗)の末寺となりました。

▲江戸時代(1668)に再興されました仏殿。ご本尊の阿弥陀三尊像が祀られていたため阿弥陀堂とも呼ばれています

仏殿や隣接する収蔵庫などの参拝は、拝観日が定められています。毎週木曜、土曜、日曜、祝日の10時~正午まで、13時~16時まで(拝観料300円)。また雨天や多湿の日、8月と年末年始は拝観できませんのでご注意ください。

収蔵庫で管理されているご本尊、「阿弥陀如来坐像(1299)」と「両脇侍坐像」の阿弥陀三尊像は、国重文です。土と漆を用いた土紋と呼ばれる装飾が確認できる最も古い仏像で、美しいお姿を参拝することができます。両手の親指と人差し指を結ぶ中尊の「説法印」は、現代のOK!を表すポーズとも重なり、大きな安らぎを覚えます。浄光明寺は、他にも多くの寺宝を有し、その一部を収蔵庫で保管、公開しています。

▲仏殿前の樹齢750年と言われるイヌマキの木(鎌倉市天然記念物)。創建の頃からこの場所に根を張り、生き続けているとは、凄いですね

やぐら(崖を削って作られた横穴式の墓や供養堂)に囲まれた仏殿と収蔵庫の間を奥に進むと、垂直に削られた岸壁が立ち現れます。鎌倉の寺社のほとんどが、山を開いて創建されており、お寺を創建することを「開山」と表現することが、目の前の景色を通じて理解することができます。岸壁沿いに作られた階段を上って奥へ進みましょう。

▲地蔵菩薩坐像(網引地蔵、市指定重要文化財)

仏殿の後ろの階段を進むと、梅の木が植えられた開けた広場に出ます。目を先に向けると大きなやぐらの中にお地蔵様が見えます。このお地蔵さまは、由比ガ浜の漁師によって海底から引き揚げられたという伝承から、網引地蔵さまと呼ばれています。やぐら内部は、御堂として使われてきたことが窺える痕跡も認めることができます。

▲冷泉為相の墓前から望む景色(鎌倉駅や材木座方面の海が見えます)

さらに進むと、最上部に大きな宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります。「十六夜日記」の作者、阿仏尼(あぶつに)の子、冷泉為相(1263-1328)を供養するため、鎌倉時代末期に築かれたと伝わります。冷泉為相は、浄光明寺近くの谷戸に移り住み、鎌倉歌壇の指導者として活躍、北条氏や足利氏とも深い交流がありました。

なお、毎年鎌倉まつり(4月中旬)の期間だけ公開される五輪塔(国重文)は、浄光明寺の最上部から一つ尾根を越えた先、多宝寺跡にて参拝できます。多宝寺の覚賢長老の墓塔で、1307年に造立されたと伝わります。

国の史跡に指定される広い境内では、桜、ツツジ、紫陽花、沙羅双樹、百日紅、萩、彼岸花などの四季折々のお花が出迎えてくれます。また秋には紅葉も楽しむことができます。

13:00 鶴岡八幡宮境内から至近の隠れ家レストラン【かど屋テラス】

▲鶴岡八幡宮の東側の鳥居から南へ進み、路地を入ったところ。白い暖簾が目印です

日本遺産の構成文化財であり、鎌倉を代表する神社でもある鶴岡八幡宮 東側の鳥居前に、御家人 畠山重忠邸跡の石碑が建っています。源頼朝から厚い信頼を寄せられていた畠山氏が居を構えたと伝わる特別な地区にあるのが「かど屋テラス」です。雪ノ下の人気店、古民家イタリアン かど屋の姉妹店として2025年5月にオープンしました。浄光明寺、または鎌倉駅から歩いて13分で到着します。

▲店名の通り、テラス席があります。植栽を眺めながら寛ぐことができます

住宅街に建っていた平屋の古民家を改装して、お店にリノベーションしました。垣根越しに源氏池を感じる抜群のロケーションはもちろんのこと、本店「かど屋」に引けを取らない本格的なお料理も、地元市民から評判を集めています。春や秋には特等席となるテラス席をはじめ、店内の客席数も多め。喧騒を離れたお店で、ゆっくりと食事と会話を楽しむことができます。

▲ランチに付くブルスケッタ(左)とサラダ。新鮮な野菜たっぷりのサラダに自家製のドレッシングがよく合います

ランチは、手ごろな価格帯の「パスタセット」「ドリアセット」、そしてメインが湘南豚肩ロースの炭火料理となる「スペシャルランチコース」の3種類です。パスタは日替わりをはじめ6種類から選ぶことができます。

パスタセットとドリアセットにはブルスケッタが付き、サラダかスープのいずれかを選びます。スペシャルランチコースはブルスケッタ、サラダ、スープに加えて、湘南豚肩ロースと日替わりパスタ、さらにドルチェとカフェが付いています。

▲もっちり太めのパスタにケチャップとトマトソースを纏ったナポリタン。具材も多く食べ応えもある一品です

パスタセットの中で人気という「昭和クラシックナポリタン 半熟卵添え」は、本店のかど屋にはない、かど屋テラス限定の一品です。酸味と甘みが詰まったケチャップに自家製トマトソースを合わせ、パスタと具材を煮込むように絡めて仕上げられます。ペッパーがふられた半熟卵と一緒にいただくと、濃厚で力強いナポリタンの懐かしい味わいの中に、トマトソースを合わせたことで生まれる優しい後味を感じます。レトロ感のある外見ながら、味わいは現代的にアップデートされています。

▲魚介たっぷりシーフードドリア

シーフードドリアも常連のお客さまを中心に支持されている一品です。熱々の状態で運ばれてきた耐熱皿の中は、グツグツとまるでホワイトソースとチーズが沸騰しているかのよう。空腹を刺激する香ばしい匂いを放ちます。エビ、ホタテ、イカがたっぷり入ったホワイトソースの下には、ターメリックの黄色が映えるライスが敷かれています。スプーンを深く入れ、チキンスープで炊かれたライス、とろけるホワイトソースとチーズ、そしてたっぷりのシーフードをすくい上げて、存分に味わいましょう。重たくなりすぎないよう、隠し味に少量のトマトソースを忍ばせるシェフの絶妙な技も光ります。

なおランチで提供するパスタ各種やドリアは、ディナータイムにも、単品としてオーダーできます。

▲プリンアラモード(数量限定)

ランチのパスタセット、ドリアセットに有料でドルチェ&カフェセットを加えることができますが、単品のドルチェメニューから「プリンアラモード」をオーダーしました。

レトロな器も可愛いプリンアラモードは、フルーツの華やかさもあって大人でも思わず歓声を上げたくなる一品です。昨今の柔らかなプリンとは一線を画す「硬さ」に驚きつつも、お口に運べば、瞬く間に卵の風味と乳製品のコクが広がります。しかしキウイや柑橘など果物の酸味がプリンの濃厚な風味と調和して重さは感じません。プリンアラモードをはじめ、ティラミスなどのドルチェ類も人気で、カフェを目的にカフェタイム(14:00~16:00)に来店されるお客さまが多いのも頷けます。

▲住宅の面影を残しながら、大胆にリノベーションされた空間が広がっています

鶴岡八幡宮の境内に近く、周りも住宅が並ぶ静かなエリアにある、隠れ家のようなレストランです。お一人さまでも、お友達や大切な方との食事や喫茶の利用にも太鼓判を押してお薦めできます。ランチタイムのラストオーダーは15時30分のため、遅めのランチにも最適です。散策途中のカフェ利用や、もちろん静かな鎌倉の夜を楽しむディナーにもご利用ください。

14:30 二代執権 北条義時が私財で建てた大倉薬師堂がはじまり【覚園寺】

▲覚園寺の山門

ランチの後は、本日の最終目的地、覚園寺へ向かいましょう。かど屋テラスからは、荏柄天神社、鎌倉宮方面へ路地を歩いて20分ほど、鎌倉駅からは、鎌倉宮までバスを利用しアクセスすることもできます。谷戸の住宅街に真っすぐのびる小径の正面に山門が見えます。境内はすべて国の史跡に指定されています。

▲境内入ってすぐの場所に建つ愛染堂(あいぜんどう)

二代執権の北条義時(1163-1224)が、私財で建てた大倉薬師堂(1218)が覚園寺のはじまりです。開基は九代執権の北条貞時(1272-1311)、開山は智海心慧(ちかいしんえ)です。元寇の難除けのために、1296年に創建されました。当初は、真言・律・禅・浄土の四宗兼学で、建武中興後は北京律(ほっきょうりつ)の拠点として多くの僧が集い修行に励みました。

山門をくぐってすぐにある愛染堂では、真紅のお身体で6本の腕をお持ちの「木造愛染明王坐像」(鎌倉時代、市重文)、左に「木造阿しゅく如来坐像」(鎌倉時代、県重文)、右に「鉄造不動明王坐像」(鎌倉時代、県重文)が静かに出迎えてくれます。

▲黒地蔵堂(拝観エリア)

愛染堂の左側にある案内所にて、拝観料(500円)を納め、奥に広がる覚園寺の境内を参拝しましょう。拝観時間は10時~16時(最終拝観受付15時40分)までです。毎年8月および年末年始等や荒天の場合は、拝観休止日があります。※拝観エリア内は、一切の撮影が禁止されています。(本ページはご許可のもと、撮影掲載しております)

道順に沿って進むと最初に目に入ってくるのが、赤い柱と白い壁の地蔵堂です。内部には、黒地蔵様と呼ばれる地蔵菩薩立像(国重文)が収められており、限定公開されています。特に毎年8月10日(9日深夜から10日正午頃)の黒地蔵縁日(地蔵盆)は、有名です。施餓鬼法要の荘厳な読経が真っ暗闇の谷戸に響き渡ります。ろうそくの灯を頼りに、多くの方が参拝に訪れます。

地蔵堂から奥に進むと、江戸時代の農家の家、内海家が保存、公開されています。茅葺屋根の大きな家の中は、天井が高く、土間にかまどがあり、作業もしていたであろう広い居室も見ることができます。大家族で暮らした当時の農家の暮らしをイメージできるかも知れません。

▲本堂 薬師堂。幾度の火災や地震の被害を経て、現在の建物は江戸時代に再興されたもの

野趣あふれる谷戸で、ひときわ存在感を放つのが、茅葺屋根の御堂、薬師堂です。中に入って見上げると中央にご本尊の「木造薬師如来坐像」(鎌倉時代、国重文)、両脇に日光菩薩坐像(室町時代、国重文)、月光菩薩坐像(室町時代、国重文)が安置されています。その三尊像の両側に干支を表す12体の武神、十二神将立像(室町時代、国重文)がずらりと並び、険しいお顔立ちで睨みをきかせています。

義時は、夢枕に立った白い犬(十二神将の一つ・戌神)のお告げを受けて大倉薬師堂を建てました。この加護によって、公暁による源実朝暗殺の際にも難を逃れたと伝わります。

堂内の天井付近には、室町時代に復興した際の足利尊氏直筆の平和と仏道の繁栄を願ったメッセージも遺されており、足利氏の庇護も受けていたことが分かります。

▲薬師堂前に聳える樹齢800年のイヌマキの木(県指定天然記念物)

覚園寺は、京都東山の本山泉涌寺の末寺であり、先に訪れた浄光明寺と共通しています。浄光明寺の仏殿前にもあったイヌマキは雌株であるのに対し、覚園寺の本堂前には樹齢800年と言われるイヌマキの雄株が植えられています。樹齢も近いイヌマキの老木が、二つの寺院を今なお見守り続けているようです。

▲境内入口付近に建つ石塔。夏には、蓮の花が出迎えてくれます

国史跡の境内は、秋の紅葉が有名ですが、四季に咲くお花も多く、彩りを添えています。春には、梅や桜、夏には蓮や百日紅、冬には水仙や椿などが出迎えてくれます。


今回は、源氏亡きあと武家政権を担った北条氏によって創建された「極楽寺」「浄光明寺」「覚園寺」を巡るモデルコースをご紹介しました。北条氏にとってこれらの寺社は、御家人とは異なる形で武家政権を支える、欠かせない存在でした。名僧が開き、戒律を重んじたその教えは、統治の精神的な支柱にもなっていたのでしょう。今なお凛とした空気に満ちた中世の面影を残す境内で、800年ほど前の鎌倉時代を身近に感じる体験をしてみてはいかがでしょうか。


取材 ALOHAS
※掲載情報は取材日時点(2026年8月)のものです。