歴史で巡る江の島・鎌倉 vol.3

【弘法大師生誕1250年記念】e-Bike KUROADで巡る鎌倉の真言宗寺院ルート

弘法大師(空海)生誕1250年

弘法大師、空海の生誕から1250年の2023年。弘法大師が開いた真言宗の総本山、高野山では、生誕1250年を記念する記念大法会が行われたり、各地でイベントなども行われます。江の島鎌倉エリアには弘法大師ゆかりの地や、真言宗のお寺もたくさんあります。そこで、新緑が気持ちのよい江の鎌で、スポーツタイプの電動自転車、E-bilke KUROADで訪ねていく、真言宗の寺院を巡るルートを紹介します!


みなさんは「弘法大師」と言うと何を思い出すでしょうか。
多くの方は「弘法も筆の誤り」という言葉かもしれません。
「三筆」と呼ばれる書の達人である嵯峨天皇、橘逸勢と並び選ばれるような弘法大師でも書き損じてしまうことがあるように、どんなにすぐれた人でも時には誤ることがある、と言う例えですよね。

もともと「弘法大師」とは「空海」という平安時代初期の僧侶のことで、亡くなった後に「弘法大師」と言う諡号が贈られており「弘法大師」という呼び方が一般的に知られています。
本来「大師」とは偉大なる師の敬称や仏を意味しますが「大師さま」と言うと「弘法大師」を指す場合も多く、広く親しまれています。
(今回の記事では「空海」ではなく「弘法大師」と統一して記します)

弘法大師は774(宝亀5)年、讃岐国の屏風ガ浦(香川県善通寺市)で誕生しました。
勉学に励み、15歳になると京(長岡京)の大学に学ぶため上京しています。
しかし大学は実学的なことを学ぶ場所であり、学問によって世の中で苦しむ人々を救済することを考えていた弘法大師には物足りず、このころから仏教に傾倒していきます。
20歳で出家し、四国の石鎚山や室戸崎で厳しい修行を重ね、より深く仏教を学ぶために遣唐使として唐(中国)へ渡りました。
唐では真言密教を継ぐ恵果和尚に学び、日本に帰国すると、真言密教を日本に広めることを嵯峨天皇に願い出て許され、各地を行脚しました。そして京(平安京)には、教王護国寺(東寺)、高野山金剛峯寺を真言密教の根本道場として下賜されることになります。
また、弘法大師は布教だけでなく水不足に悩んでいた讃岐(香川県)の満濃池の修築や、日本で初めての民衆のための教育機関「綜芸種智院」の開設など社会事業にも尽力され、民衆から崇敬されるようになりました。

弘法大師が開いた真言宗では、自分自身を深く見つめ直し、仏のような生き方をすることが大切であり、誰もが本来持っている仏心(ぶっしん)を呼び起こすために「身(しん)=体の行動」、「口(く)=言葉」、意「(い)=心」の3つを整える「三密(さんみつ)」という修行をすることで、生きているうちに仏になれる(即身成仏)ということを説かれています。

▲「弘法も筆の…⁉︎」 @青蓮寺

スバナ会館前から出発!

今回のコースは江ノ電の江ノ島駅改札を出て、左側に江の島方面に向かうスバナ通りを少し進むと右側に白い建物、スバナ会館が見えてきますが、この建物前にあるe-Bike KUROAD専用ステーションが出発地点です。

ステーション到着時でも予約された車両が無ければすぐに利用できますが、事前に「HELLO CYCLING」のアプリケーションを利用して予約しておくと安心です。

なお、KUROADはデビュー当初、手荷物を入れるカゴがありませんでしたが、現在ではハンドル前に荷物用カゴ(最大荷重5kg)が装着され、より便利になりました。

e-Bike KUROAD の詳細については ホームページから

▲いざ、スタートです!

鎖大師「青蓮寺」

江ノ島駅方面からは電車通りを走り、腰越駅前の神戸橋交差点を左折し、県道304号(腰越大船)線を進みます。こちらの道自動車の交通量も多いので気をつけて運転しましょう。
しばらく走り続けると下り坂に差し掛かりますがこの坂の脇が青蓮寺の寺域です。

▲青蓮寺に到着。

青蓮寺の寺号は、平安時代初期に弘法大師が現在の寺域の裏山(飯盛山)で護摩の秘法を修した際に、天女があらわれて給仕をし、一粒の仏舎利を託して去ってゆき、翌朝に目を覚ますと、側の池に青色の美しい蓮の花が咲きほこっていた、という故事に由来します。

また、本尊の「鎖大師」にはこのような話が伝わっています。
弘法大師のよき理解者であり、橘逸勢(たちばなのはやなり)とともに平安の三筆(3人の能書家)に数えられる嵯峨天皇は、弘仁7年、弘法大師が高野山開創にあたって都を離れる際に別れを惜しんでその姿を残すよう命じ、弘法大師は自身の等身大のお姿をお作りになられ、着ていたお衣を着させて献上しました。
その後、この尊像は奈良の岡寺、鎌倉鶴岡八幡宮寺、松源寺、寿福寺を経て、ここ青蓮寺に移されてご本尊として祀られています。
像の両足は、衣替えができるようそれぞれが輪を組み合わせた鎖状のからくりによって可動し、併せて「お大師さまと鎖のようにしっかりと結びつく」として古来より信仰を集めてきました。

大変珍しいこの尊像は、江島神社の弁天像とならび、鎌倉時代に流行した裸形彫刻のひとつとして国の重要文化財に指定されており、年に5回(元朝護摩12/31-1/1深夜、初大師1/21、正御影供4月第3土曜、施餓鬼会8月盆中日、納大師12/21)のみ拝観できます。

▲境内には古より奉納されたいくつかの弘法大師像が安置されています。

境内の一角には五輪の塔を囲んで、密教において森羅万象の構成要素である地、水、火、風、空をあらわす5体の「五輪童子像」が安置されていますが、この可愛らしいお姿の童子像は奈良県のマスコットキャラクター「せんとくん」の発案者としても知られる彫刻家、薮内佐斗司氏の造立によるものです。

なお、境内から裏山に登ると、護摩修行をされたとされる奥の院付近の樹間より、天気の良い日は富士山が望めます。

▲このお顔に見覚えがありませんか?

義経ゆかりの寺「満福寺」

青蓮寺からは行きに来た道を戻り、神戸橋交差点を左折し江ノ電腰越駅を横目に少し進むと満福寺の入り口を示す看板があり、表示に従って進むと満福寺に到着します。

満福寺は744(天平16)年、聖武天皇から依頼を受け奈良東大寺の大仏の建立に尽力した行基による開創されたと伝わっています。

1185(元暦2)年、平家を壇之浦でぼした源義経が鎌倉へ凱旋しようとしたところ、兄の源頼朝の許しなく朝廷から官位を得たなどの理由から頼朝の怒りを買い、鎌倉へ入ることは許されませんでした。そこで許しを得るためにここ満福寺で書状「腰越状」をしたためたことで有名です。

現在では、真言宗寺院として弘法大師により伝えられた護摩祈祷を行なっています。

▲満福寺門前の踏切で江ノ電が過ぎ去るのを待ちます。

海岸線を往く

満福寺をあとにして、小動の交差点からは海を横目に134号線を鎌倉方面に向け進みます。
鎌倉高校前駅周辺から七里ヶ浜駅周辺までは歩道の幅も以前に比べ拡張されており、自転車の走行も可能になりましたが、人の往来も多いので気をつけて走りましょう。

▲海を横目に走ると気分爽快です!

「和食処 つきやま」でランチ!

鎌倉プリンスホテル前周辺から海岸線と別れ、稲村ヶ崎駅脇を通ると山に囲まれた極楽寺の谷戸に向います。今回のコースではこの谷戸に位置する「和食処 つきやま」でランチをいただきます。
まずお店に到着した際、お店の方が駐輪する場所へ誘導していただけるのでお声がけをしてみましょう。

こちらのお店は、地元の漁師さんや、鎌倉の農家さんから直接仕入れた地元産の食材にこだわり、より新鮮な食材を日本料理の技を駆使して美味しく提供しています。
いろいろな種類の料理を少しずついただける「レディース御膳」や、季節や海など漁獲状況によって生もしくは釜揚げのしらすがトッピンングされる「坂ノ下丼」、そして独特なお出汁でいただく「つきやま豆腐」は特に人気のメニューで一押しです!

▲白壁に瓦屋根の清涼感ある建物が目印です。

▲色々なお料理をまとめて楽しめる「レディース御膳」。

「生シラス」は海が真近にある料理店ならではの味。

仏像に出会う「浄光明寺」

「和食処つきやま」を後に極楽寺坂切通しを抜け、長谷方面に向かいます。
この極楽寺坂切通しの上には弘法大師が護摩壇を作り修行した場所に、2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも話題となった北条義時の息子で鎌倉幕府3代執権となった北条泰時が建立した真言宗の寺院「成就院」があります。
こちらの参拝もお勧めしたいのですが、駐輪スペースがなく極楽寺駅から徒歩ですぐの場所にありますので、次回江ノ電を利用してお参りすることにしましょう。

長谷エリアからは由比ガ浜通り・今小路を走り抜けた先、扇ケ谷の谷戸に浄光明寺は位置しています。

浄光明寺は鎌倉幕府5代執権北条時頼と6代執権北条長時によって発願された寺院ですが、北条長時のひ孫にあたる赤橋登子が室町幕府初代将軍の足利尊氏の正室であったこともあり鎌倉幕府滅亡後も足利氏により篤く庇護されました。

境内の収蔵庫には、1299(正安元)年に造立された阿弥陀如来・観音菩薩と勢至菩薩の穏やかなお顔が美しい阿弥陀三尊坐像が安置されています。
特に中尊の阿弥陀如来坐像は、現在鎌倉には7軀しか残存していない粘土に漆などを混ぜて型で抜き貼りつける「土紋」という鎌倉地方独特の技法で装飾され、国の重要文化財に指定されており、8月を除く晴天の木曜日・土曜日・日曜日・祝日の10:00~12:00、13:00~16:00に限られており、サイクリングに最適な天候のもと、お参りすることができる貴重な仏さまです。


鎌倉を邪鬼から護り続ける「明王院」

浄光明寺を後に、鎌倉時代は鎌倉と東京湾側にある金沢六浦港を結ぶ重要な街道だった金沢街道を東に進みましょう。

鎌倉幕府の将軍職は源氏の直系である頼朝・頼家・実朝と引き継がれますが、実朝が暗殺された後、源氏と摂関家の藤原の血をひく藤原頼経を京都から迎えますが、この頼経は陰陽道で鬼や邪鬼が出入りするため忌むべき方向とされる北東の地に、不動明王など五大明王をまつり鬼門除けの祈願所として明王院を建立しました。

明王院では、「元寇」の際には、モンゴル連合軍が降伏するよう幕府と将軍家の公式な祈願所として国家を救うための「加持祈祷(かじきとう)」が行われ、モンゴル連合軍は無事退散することになりました。

「加」とは仏さまがご慈悲が信者の心の中に働きかけてくれること、「持」とは信者がそれ感じ取ることを指します。「祈祷」とはこの心の動きをもとに祈りを捧げることです。
この「加持祈祷」は弘法大師が説いた真言宗の教義の中で重要な位置付けをされており、多くの真言宗寺院で執り行われています。

▲明王院前には通常タイプの「HELLO CYCLING」ステーションも設置されています。

江戸時代の泰平の世となり、現在でも「お遍路さん」として知られる四国全国各地に八十八ケ所霊場巡拝の札所が設けられるなど、弘法大師への信仰熱が高まります。

明王院には、五大明王の他にも近年江戸時代初期の承応年間(1652〜1655年)に造立されたことが台座の裏に記されていたことから判明した弘法大師坐像がおまつりされており、江戸時代の弘法大師への篤い信仰の証を見出すことができます。

なお、こちらの弘法大師坐像はご住職のお力添えにより、メディアへ初公開させていただきました。

▲弘法大師さまがいつお出掛けしても良いように靴が用意されています!

発見された台座の裏書(こちらもメディア初公開!)

今回ご紹介させていただいた弘法大師坐像や五大明王などの御尊像は通常本堂の扉の外から参拝するのですが、間近で参拝できるチャンスが毎月2日間のみあります。
その2日間とは、28日のご本尊不動明王、16日の秘仏歓喜天とそれぞれの仏さまの御縁日に本堂を公開して執り行われる法要の日です。
特に、28日の御縁日には、火を焚きながらお勤めを行う護摩法要も本堂で勤修されますので、みなさんとご一緒に願いを叶えていただけるようお祈りしましょう。

▲護摩法要のようす (©️明王院)

鎌倉駅に到着!

今回のe-Bike KUROADを利用した巡礼コースも鎌倉駅からある御成通りを進んだ先にある専用ステーションで終了です。

なお返却される際は、返却予定時間の30分前に「HELLO CYCLING」アプリケーションから専用ステーションの返却予約をされることをオススメします

▲お疲れさまでした!

【今回のルートで拝受した御朱印】

①青蓮寺  「鎖大師」
②満福寺  「弘法大師〔相模国二十一霊場15番札所〕」
③浄光明寺 「宝冠阿弥陀如来」 
④明王院  「不動明王」「歓喜天(歓喜天御縁日のみ授与)」

※明王院・浄光明寺の御朱印志納料は2023年5月15日より500円に変更されます。

2023年4月1日より、自転車利用時のヘルメットの着用が努力義務化になりました。

【取材・文 岡林 渉】