鎌倉時代、飢饉や疫病、大地震などにより世の中は大きく乱れていました。日蓮上人は世の乱れの原因は、幕府が法華経の信仰を蔑ろにしているからだと考え、5代執権北条時頼に「立正安国論」という書を提出しました。しかし、時頼は日蓮上人の進言を聞き入れず、伊豆や佐渡へ流罪にします。佐渡流罪時には、弟子の日朗(にちろう)上人を宿屋光則(やどやみつのり)の邸宅裏山の土牢に幽閉しました。監視役であった光則でしたが、日蓮上人・日朗上人の師弟関係の尊さと法華経の功徳に心を打たれ、後に邸宅を寄進し光則寺を創建しました。「光則寺」の光則(こうそく)とは「宿屋光則」の光則(みつのり)の名に由来します。
寺庭には海棠(カイドウ)の木が7本も植えられており、本堂に向かって右側に植えられている木は、市の天然記念物に指定されています。その昔、楊貴妃がほろ酔いで眠そうにしている姿を見て、皇帝が「海棠の眠り未だ足りず」といったという伝説から、「艶麗」とか「美人の眠り」がカイドウの花言葉になっています。まだ花を咲かせていない蕾の俯き加減の姿にも、独特の魅力があります。
春に咲く海棠はもちろん、初夏には境内各所に咲く何百種類もの山紫陽花など、四季を通じて草花が境内を彩ります。山門には境内の花マップを見ながら、散策してみるのもいいですね。