江ノ電が走る江の島・鎌倉エリアは1889(明治22 )年に日本海軍の鎮守府のあった横須賀までの連絡路として横須賀線が開業、1902(明治35)年に江之島電気鉄道が「藤沢~片瀬」開業、続く1910(明治43)年小町までの全線が開業、温暖な気候と当初は医療目的だった海水浴がレジャーとして定着するなどの理由から、東京在住の政財界や華族、軍人などの多くが別荘を構えるエリアとなりました。
そして明治から昭和にかけては、作家や詩人、歌人、 俳人などが移り住み「鎌倉文士」と呼ばれる人たちもいました。
江ノ電沿線には「鎌倉文士」をはじめ、江の島・鎌倉を訪れた作家ゆかりのスポットが数多くあります。
今回は、代表的なスポットを散歩するのに便利でお得な江ノ電一日乗車券「のりおりくん」を購入して、藤沢駅より出発しましょう。
江ノ島駅で下車した後は、江の島へ向かいます。
江の島は江戸時代、江島神社へ参詣する「江の島詣」で大変賑わいました。
明治時代になると川崎大師へ向かう京浜急行電鉄、日光に向かう東武鉄道、高尾山に向かう京王電鉄、成田山へ向かう京成電鉄など、私鉄各社はもともと、寺社への参詣や観光を目的としたお客さまを対象にして開業しましたが、江ノ電も同様に江島神社への参拝や観光のお客様を対象して開業しました。
1890(明治23)年、「雪女」や「耳なし芳一」などの古い物語を集めた「怪談」で知られる小泉八雲(ラフカディオ=ハーン)は、北鎌倉→長谷→極楽寺坂→七里ヶ浜→江の島、という現在江ノ電が走るルートとほぼ同じコースを人力車で進み江の島を訪れています。
この様子を事細かに描いた紀行文は1894(明治27)年出版された「日本瞥見(べっけん)記(原題:“Gilimpses of Unfamiliar Japan”)」の第4章「江の島行脚」に収録されています。
小泉八雲は江の島を「海と美の女神の祀る神の島」と記述しており、当時も旅館や土産店が立ち並ぶ現在の弁天仲見世通りでたくさんのお土産を買い込んだようです。
(※当時の様子を写した写真データは長崎大学附属図書館「幕末・明治期日本古写真コレクション」アーカイブ
からご覧いただけますので現在の様子と見くらべてみてください。こちらから)
江の島から江ノ島駅に戻った後は江ノ電に乗車し七里ヶ浜駅へ向かいましょう。
藤沢方面を振り返ると相模湾に突き出した小動岬を眺めることができます。
こちらは「走れメロス」「斜陽」などの作品で知られる太宰治が1930(昭和5)年に心中未遂事件を起こした場所としても知られています。
太宰自身の経験も反映したと考えられる小説「人間失格」では女給のツネ子とともに「鎌倉の海に飛び込みました」とあり、入水心中として描かれていますが、実際は銀座のカフェー・ホリウッドの女給、田辺あつみと小動岬で睡眠薬を用いて心中を図ったものの、小説で描かれたように女性は亡くなってしまい、太宰だけが生き残り、江ノ電の線路脇にあった病院に入院することになります。
太宰は療養中、どのような想いで往来する江ノ電を病室から眺めていたのでしょうか。
七里ヶ浜駅から再び江ノ電に乗車し、長谷駅に向かいます。
長谷駅を下車し、由比ヶ浜駅方面に進むと鎌倉で一番古く、奈良時代に創建された甘縄神明宮が鎮座しています。
「伊豆の踊り子」や「雪国」で知られる川端康成は1935(昭和10)から鎌倉に住んでいましたが、戦後になってこの甘縄神明宮の近くに移り住みました。
1954(昭和29)年に出版された、鎌倉を舞台とした長編小説「山の音」の中で「鎌倉のいわゆる谷(やと)の奥で、波が聞こえる夜もあるから、信吾は海の音かと疑ったが、やはり山の音だった。」と記述しています。
この山の音は川端邸のある甘縄神明宮の裏山から響いた音だったのでしょうか。
太宰治の短編小説「狂言の神」は、前掲の「人間失格」で描かれた入水心中から7年後の話で、ここに江の島から乗車した江ノ電が登場します。
「がったん、電車は、ひとつ大きくゆれて見知らぬ部落の林へはいった。微笑ましきことには、私はその日、健康でさえあったのだ。かすかに空腹を感じたのである。どこでもいい、にぎやかなところへ下車させて下さいと車掌さんにたのんで、ほどなく、それではここで御降りなさいと教えられ、あたふたと降りたところは長谷であった。」
とあります。
ちなみに、長谷駅を降りたであろう太宰と長谷に住んだ川端康成にはあるエピソードがあることをご存知でしょうか。
文学にあまり関心のない方でも「芥川賞」という言葉は聞いたことがあると思います。
「芥川賞」とは新人作家による短編もしくは中編の純文学を対象に選考されます。
1935(昭和10)年、太宰の小説『逆行』が、第1回の芥川賞の候補となりますが落選。
芥川賞の選考委員を務めていた川端の選評に激昂し、反論文を発表。
しかし、太宰は諦めることができなかったようで太宰は1936(昭和11)年、改めて川端に第三回の芥川賞を受賞できるよう懇願する手紙を書いたものの、ついに受賞することはできませんでした。
長谷にゆかりのある作家2人にこのようなエピソードがあったことは興味深いですよね。
甘縄神明宮から5分ほど歩くと鎌倉文学館に到着します。
現在は鎌倉文学館として利用されていますが、元々は加賀藩の
藩主、前田利家の系譜にあたる前田侯爵家の別荘でした。
「金閣寺」や「潮騒」などの作品で知られている三島由紀夫は、最後の長編小説「豊饒の海」の第1巻で松枝侯爵家の子息と綾倉伯爵家の息女の悲恋の物語「春の雪」を執筆する際にこの別荘を取材しており、文章中にこちらがモデルとなったと思われる箇所も描かれています。
ちなみに三島由紀夫が本格的な作家としてデビューするきっかけは、終戦後の1945(昭和20)年9月に創立した出版社「鎌倉文庫」が1946(昭和21)年1月に創刊した「人間」という文芸誌に川端康成が三島を推薦し「煙草」という短編を掲載したことでした。
※鎌倉文学館は、2023年4月1日~2027年3月31日まで、大規模改修のため休館中です。
▲鎌倉文学館は、2023年4月1日~2027年3月31日まで、大規模改修のため休館中です。
鎌倉文学館で文学の世界に浸った後は、観音大通りまで進むと「文学館入り口」の信号に辿り着きます。
この信号脇には、15時からでも(土日祝は12時から)気軽に美味しいお酒と食事が堪能できる「MASUMASU SAKE SHOP & OBANZAI」があります。
落ち着いた雰囲気の店内で劇的な作家の生き様などを語らいながら一杯いかがでしょうか。
神奈川の地酒やこのお店オリジナルのクラフトビール(4種類:スタウト・ヴァイツェン・アルト・ペールエール、その他季節のビールがある場合もあり)と美味しい食事で話が弾むこと間違いなしです。
お腹と心が満たされたあとは、由比ヶ浜駅から鎌倉駅に向かい今回の散策は終了です。おつかれさまでした!
【取材協力:鎌倉文学館 山田雅子学芸員 取材・文:岡林 渉 】