鎌倉駅東口改札を出て直進し、若宮大路を横断して渡り、徒歩5分ほどの場所にある本覚寺。
鎌倉時代、この場所は幕府の裏鬼門(南西)に当たるとされ、源頼朝が幕府の守り神として夷堂(えびすどう)を建てたと伝わります。夷堂には鎌倉江の島七福神のひとつである「夷様」が祀られ、商売繁盛や縁結びの神様として全国から多くの参拝客が訪れています。
元々この場所には、天台宗系の夷堂がありましたが、鎌倉公方・足利持氏がこの地に寺を建て、日出上人に寄進したのが本覚寺であるとされ、日出により日蓮宗に改められました。のちに、二代目中住持の日朝が、山梨県にある日蓮宗総本山身延山久遠寺の法主に栄進し、日蓮聖人のお骨を本覚寺に分骨されました。それは、身延山参詣することが難しい女性や老人のためであり、これにより本覚寺は「東身延」とも呼ばれるきっかけとなりました。なお、寺には江戸時代、寛政の改革を断行した労中、松平定信による「東身延」の額も現在に伝えられています。
また、日朝は「眼を治す仏」とも呼ばれ、本覚寺は眼病に効く寺として「日朝さん」の愛称でも親しまれています。
通年は、10月に「人形供養」、新年には「初えびす」、「本えびす」の例祭が行われ、鎌倉の正月の風物詩と呼ばれる、和服の衣装を纏った福娘さんたちの姿も見られます。