正式名称は飯盛山 寛喜寺 明王院(はんじょうさん かんぎじ みょうおういん)。寺号の「寛喜」は鎌倉幕府4代将軍の藤原頼経がこの寺院の建立を発願した1231(寛喜3)年であったことに由来します。
五大明王〔不動明王(ふどうみょうおう)、降三世明王(ごうざんぜみょうおう)、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)、大威徳明王(だいいとくみょうおう)、北に金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)をおまつりしていることから「五大堂」とも呼ばれて親しまれており、中尊の木造不動明王坐像は鎌倉時代初期の仏師肥後別当定慶が造仏を行った重要文化財に指定されています。
毎月28日の不動明王の御縁日、16日の歓喜天の御縁日は本堂で法要が執り行われ多くの参拝者が訪れます。