一般的に神社に奉仕されている人のことを「神主(かんぬし)さん」と呼びますが、これは神社に仕える人を総称する言葉です。正しくは「神職(しんしょく)」と言い「宮司(ぐうじ)」「権宮司(ごんぐうじ)」「禰宜(ねぎ)」「権禰宜(ごんねぎ)」などの役職があります。
一方、お寺でお勤めをされている人のことを「お坊さん」と呼びますが、正しくは「僧侶(そうりょ)」と言い「住職(じゅうしょく)」とはお寺の代表者を指します。
神主さんとお坊さんのお仕事レポート
現在、江の島・鎌倉エリアには150以上の神社やお寺があると言われており、連日多くの参拝者で賑わっています。
日本では仏教が伝わった6世紀から江戸時代が終わる19世紀まで長い間、神社とお寺は区別することなく信仰されていた事から似通った設備や所作がありますが、実際には意味合いが異なるものがいくつかあるようです。
また、神社の「神主さん」やお寺の「お坊さん」がご祈祷や法事でお会いする以外、どのようなお仕事をされているかあまり知る機会がありません。
そこで、江島神社の「神幸祭」にご奉仕される相原侑一郎権宮司と、明王院の「護摩法要」のお勤めをされる仲田晶弘住職を取材させて頂きました。
一般的に神社に奉仕されている人のことを「神主(かんぬし)さん」と呼びますが、これは神社に仕える人を総称する言葉です。正しくは「神職(しんしょく)」と言い「宮司(ぐうじ)」「権宮司(ごんぐうじ)」「禰宜(ねぎ)」「権禰宜(ごんねぎ)」などの役職があります。
一方、お寺でお勤めをされている人のことを「お坊さん」と呼びますが、正しくは「僧侶(そうりょ)」と言い「住職(じゅうしょく)」とはお寺の代表者を指します。
「神社」とは、日本古来の自然現象を司る神様や先祖など「八百万神(やおよろづのかみ)」を信仰する宗教「神道(しんとう)」の施設です。
最初は、石や滝、山などを神様が降り立つ場所に仮設で建てられましたが、のちに常設の建物が作られるようになりました。
一方「お寺」とは教祖「釈迦(しゃか)」を信仰する「仏教」の施設です。
ルーツは、古代インドで釈迦や修行僧たちが集まり、仏法を学ぶ場所であった「精舎(しょうじゃ)」であり、釈迦が亡くなると舎利(釈迦の遺骨)を祀る塔が建てられ、のちには仏像が安置されようになり、現在の「お寺(寺院)」の形態になりました。
では、早速お参りに伺いましょう。
神社やお寺の境内と、我々が生活する世界の間には「結界(けっかい)」と呼ばれる境界線があります。
この「結界」を示すものとして、神社やお寺には鳥居や、山(三)門、敷居、柵、段差、しめ縄などが設けられています。
結界を越え、境内に入る際には、神様や仏様に失礼のないようご挨拶をする気持ちで、一礼をしてから、敷居や段差を踏まないようにて進んで下さい。
「お寺」であれば併せて合掌もしましょう。
なお、境内を出て帰る際も同じように一礼や合掌をすることを忘れないでくださいね。
一礼をしたあと、境内に入り参道を進みます。
神社では神様が「正中(せいちゅう)」と呼ばれる参道の中心を通られるとされていますので、中心は極力避けて歩いて下さい。
一方、お寺の場合は参道の中心を歩いても問題はないそうです。
続いて、神社の場合は手水舎(てみずや・ちょうずや)へ進みます。
軽く一礼をした後、柄杓(ひしゃく)を使い手を洗い、口をゆすぎましょう。
神道には「禊(みそぎ)」という身体を海や川などの清らかな水につかることで、日々の罪や穢れ(けがれ)を祓(はら)い清めると言う所作があります。
しかし、神社が必ずしも海や川の近くにないため、代わりに手や口を清めるための「手水舎」という設備があるのです。
一方、仏教には「禊」と言う所作はなく、明王院にも「手水舎」はありません。ただ、お寺でも「手水鉢」が設置されている場合がありますので、その際は神社と同様に手や口を清めましょう。
続いて拝殿や本堂に進みます。
拝殿や本堂には「お賽銭箱(おさいせんばこ)」が設置されていますので最初にお賽銭を納めましょう。
現在では、神様や仏様への敬意を表したり願い事をする際にお供えるお金のことを「お賽銭」と呼びます。
神道で「賽」という字の意味は、願い事が叶った際の感謝の気持ちをお伝えすることであり、以前はお礼として海や山の幸をお供えするものでした。
神社に納めるお金のことを「初穂料(はつほりょう)」と呼ぶのは秋に初めて収穫したお米をお供えしていた頃の名残りです。
一方、仏教で「お賽銭」とは「布施(ふせ)」の一種とされており、
見返りを求めず、自分の食糧や金銭を仏様に献上すること(布施)により煩悩を捨てて修行を行います、という意思の表わすものです。
お寺に納めるお金のことを「お布施」と呼ぶのはその名残りです。
同じ意味合いだと思って奉納していた「お賽銭」が神道と仏教ではだいぶ違っていますね。
お賽銭を奉納した後は、神社であれば「鈴」、お寺であれば「鰐口(わにぐち:銅で作られた鐘のこと)を鳴らします。
「鈴」は、邪気を祓い神霊をお招きするために、「鰐口」は参拝し、修行を始めることを仏様に告げる合図のために鳴らします。(※)
※江島神社のように「鈴」が設置されていない場合や、神社に「鰐口」が設置されている場合もあります。
続いて、神社であれば2回お辞儀をした後、柏手(かしわで)を2回打ち、一回お辞儀をする「二礼二拍手一礼(にれいにはくしゅいちれい)」を行います。
柏手は、神様に気づいていただくものであるため、左右の手のひらにふくらみをもたせ、少しずらして音が大きくなるように打つと良いでしょう。
一方、お寺では、左右の手のひらを平らにして静かに合わせます。
仏教の発祥の地インドでは、右手は清らかなもの、左手は汚れたものとされています。
そこから清浄な右手を仏様、不浄な左手を我々とし、両手を合わせることで、仏様と我々が一体になることで、我々の身体が清められる、ということを意味しています。
これらのお参りを終えた後に「参拝の証」として押印される御朱印をいただくようにしましょう。
神主さんやお坊さんが、このような順序でお参りをしている人をご覧になられると「この人はちゃんと心得ている人ですね」と一目置いていだだけるそうですよ。
神主さんがどのようなお仕事をされているか知るために、毎年七月の第二日曜日に執り行われる「神幸祭」にて、江島神社の相原侑一郎権宮司がご奉仕されている様子をに取材させていただきました。
「神幸祭」とは江の島対岸の腰越に祀(まつ)られていた「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)」像が大波で流されてしまったところ、江の島の素潜りの漁師さんがすくいあげて江島神社の境内に八坂神社を造営し、祀ったとの言い伝えをもとに「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)」が江の島から元の腰越へ里帰りしていただく様子を再現する江戸時代から続くよりお祭りです。
「神幸祭」は、まず「二礼二拍手一礼」を行った後、祝詞(のりと:神様へ奏上することば。内容は、祭りや、場所によって異なります)」を神様へ奏上することから始まります。
続いてご神体の「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)」が、神様の乗り物である「お神輿(おみこし)」に移っていただいた後、おもてなしとして海の幸や山の幸などをお供えします。
辺津宮からは、賑やかなお囃子(おはやし)が奏でられる中「お神輿」は参道を下り、北緑地広場より海中へ進む「海上渡御(かいじょうとぎょ)」を行いますが、この様子を神主さんたちは船の上から見守ります。
「なぜ、わざわざお神輿を海に入れるのだろう」と思われるかもしれません。
これは、清らかな水につかることで、日々の罪や穢れ(けがれ)を祓(はら)い清める「禊(みそぎ)」であり、海中からすくい上げられたご神体の様子を表現しているものでもあるそうです。
再び上陸した後、ご神体をすくい上げた素潜りの漁師さんの住まいがあった東浦地区にお神輿を安置されると、相原権宮司をはじめとした神主さんたちにより祝詞があげられます。
お神輿は相原権宮司ら神主さんたちと共に東浦地区を出発し、江の島弁天橋を渡り腰越に向かいます。
途中、江ノ電が江ノ島駅方面から腰越駅方面に進んだ先には、小動神社の宮司やお神輿がお迎えのためにスタンバイしていました。
お囃子と共に、2つの神社のお神輿が合流すると一気に雰囲気が盛り上がります。
2基のお神輿は仲良く江ノ電が自動車と併用する道路を進み、腰越の小動神社まで移動し、到着すると祭典が執り行われます。
その後、お神輿は江の島に戻り、神幸祭にご奉仕された相原権宮司ら神主さんたちの長い一日が終了します。
続いて「お坊さん」がどのようなお仕事されているか知るために毎月28日に執り行われる「護摩法要」でお勤めをされる仲田晶弘住職の様子を取材させていただきました。
(こうぼうだいし)として知られる空海(くうかい)が開祖である真言宗(しんごんしゅう)のお寺、明王院では毎月28日のご本尊「不動明王(ふどうみょうおう)」の縁日(※)に、煩悩(ぼんのう)を焼き払うために炉で火を焚き、その炎に供物をささげて、願い事が叶うように祈る「護摩法要(ごまほうよう)」が執り行われています。
(※)縁日:仏さま毎に決められた縁(ゆかり)のあるとする日で、その日に参詣して仏様と縁を結ぶといつも以上に御利益(ごりやく)があるといわれる日。
「不動明王」の縁日について、一説では平安時代に嵯峨天皇が弘法大師に国家の平安を祈願してもらうようをお願いをしたところ、宮中で初めて不動明王をご本尊とした「護摩法要」を執り行ったのが28日だったため、と言われています。
「護摩法要」の「護摩」とは仏教の中でも密教と呼ばれる一流派で執り行われる仏様へのお祈りの方法です。
法要では、「護摩木」とは呼ばれる、お願い事を書き込んだ木片を薪として炉に焚べ、お願い事を清らかにして叶うように祈願します。
また「護摩札」と呼ばれるお願い事を書き込んだ木の板や紙がありますが、こちらは焼くためではなく「護符(ごふ)」として利用されます。
炎にかざすことで清められた「護摩札」には、不動明王の分身が宿っているとされており、願いを叶える力をいただくことができるというものです。
また、家へ持ち帰ってお祀りすることで参列した時に、願いが叶うよう一所懸命にお祈りした純粋な気持ちを振り返るきっかけにもなります。
お寺の法要と言うと、敷居が高いイメージがありますが明王院の境内には、食べ物やデザートなどを販売するコーナーがあったり、お茶が振る舞われるなどバザーのような和気あいあいな雰囲気でした。
修験者さんの法螺貝(ほらがい)を合図に護摩法要は始まります。
最初に仲田住職からお話がありましたが、堅苦しいものではなく、時折、笑いもこぼれるような内容なので堂内の雰囲気も和んでいました。
お話のあと、それぞれの座席に置かれたお経が書かれた経文(きょうもん)を仲田住職と皆さんが一緒に唱えます。
仲田住職いわく、通常であればお坊さんが皆さんと仏様の間をとりもち、代行してお経を唱えるのですが、こちらの法要では皆さんの願いが直接仏様に届くようにお経を唱えるお手伝いをします、というスタンスだそうです。
お経を唱えていると何度も繰り返す箇所があり、お坊さんは回数を数えているのかな?と思い、後で仲田住職に伺ったところ、お坊さんはお経を唱える時に数珠の玉が何個あるか把握していて、手元で動かしながらカウントしていますよ、とのことでした。
お経を唱え終わると、一人づつご本尊の不動明王の前に立ち、護摩木を奉納し、合掌をしてそれぞれのお願いをすると護摩法要は無事終了です。
最後に護摩法要に参列した証として御朱印を頂き、明王院を後にしました。
神社のお祭りとお寺の法要を取材させていただきましたが、どちらも参列させていただくと、不思議に心が躍り、清々しい気持ちになることができました。この気持ちが私たちのDNAに刻まれ代々受け継がれてきたのかもしれません。
厳密に言えば宗派や地域によってお参りの仕方や法要の内容などそれぞれ異なります。
しかし、神様や仏様に対して敬意を持ってお参りすることに変わりはありません。
今回の取材を通してお参りの仕方や、神主さんやお坊さんのお勤めする姿を改めて知ることができ、今後のお参りに自信がついたような気がします。
みなさんも江の島・鎌倉エリアをはじめ、観光で神社やお寺をお参りする際、基本や成り立ち、お勤めする方々の姿を知ることで神主さんやお坊さんに一目置いてもらえるようなパワーアップした参拝者になってみませんか。
【取材・文】 岡林 渉